1961年生まれ。UCLA大学でMBAを取得後、JPモルガン、ゴールドマンサックス、米ヘッジファンド、ムーアキャピタルを経て2001年にシブサワ・アンドカンパニーを設立。自ら設立したコモンズ投信で、持続可能な取り組みを続ける企業のファンドを運用する。幕末-明治の武士・官僚・実業家であった、渋沢栄一の玄孫にあたる。
SDGsの掲げる一見矛盾した理想と利益の両立が、持続可能な未来を創る
SDGsは2015 年に国連で満場一致で採択されたもので、日本語に訳せば持続可能な開発目標となります。
SDGsへの取り組み、実行において大事なことは、それが大企業であっても、中小企業であっても、あるいはスタートアップ企業であっても変わらず、SDGsの中でも誓われている「誰1人取り残さない」という人道的な指針を掲げることにあります。
SDGs の17の目標と169のターゲット、そしてこの人道的な指針という言葉を目にすると、その取り組みが慈善的なものに映ってしまうかもしれませんが、実際はそうではありません。
私の高祖父である渋沢栄一の「論語と算盤」の中で、企業は論語(道徳)だけではなく、算盤(利益追及)が象徴する実業が欠かせないと語っています。
その反対に、企業が利益追及ばかりに汲々となって、道徳を忘れてしまえば社会は立ち行かなくなります。
SDGsでもこれは同じこと。
「持続可能な開発目標」であるSDGsを実現していくためには、一見矛盾する道徳的な取り組みと、企業としての経済活動を未来に向かって両立していける価値創造を行っていくことが大切なのです。
未来を定めるムーンショットが、SDGs達成のキー
では、企業がこうしたSDGsを達成していくための目標をどのように立てるべきか。私たちが慣れている目標設定は、現在から未来に向けて「何ができるか」と考えていく方法です。現在の経営状況や資源を元に、短期的・中期的な実行目標を立てて前進していくことは、堅実なやり方かもしれません。
しかし、世界共通の目標であるSDGsの達成期限は2030年。
目標達成期限まで10年を切った今、誰一人取り残さないでこの目標達成を果たすのであれば、その着実・堅実な方法は有用ではありません。
1961年、アメリカ第35代大統領、J.F.ケネディは「10年以内に人類を月に送る」と宣言しました。「ムーンショット」と呼ばれたこの演説が行われた当時、アメリカは宇宙開発においてロシアに水をあけられた状態でした。
当然この演説を聞いた多くの人々は、この目標を現実味のないものと捉えていました。しかし、アメリカはその8年後の1969年に、その言葉通り人類を月に送り込むことに成功したのです。
SDGsという壮大な目標を前にして、それを実行していく私たちに求められているのは、こうした「ムーンショット」の考え方ではないかと考えています。
現在から未来を描くのではなく、未来にこうなっていると思う理想を前提とし、そこから何をすべきかを逆算していく。
現在を基準に未来を描く場合、「できるか、できないか」が未来の目標達成の判断基準となります。この時、私たちはできないと思われることは削ぎ落とすことで、可能性の高い未来へ向かうことになります。
一方で、ムーショット的に未来を描いた場合は、未来にある目標のために何をすべきかを積極的に考えるようになります。
その積極的に考える、実行していく活動の中でこれまで見落としていた、あるいは削ぎ落とさざるを得なかった、新たな市場や新たな可能性が生まれてくるのだと私は思っています。
新たな価値と可能性、そして市場の創造なくしては、世界共通の壮大な目標達成は難しいものとなるでしょう。
SDGsへの取り組みが、企業の未来を左右する
もうひとつ、SDGsは取り組むも取り組まないも自由な目標であると捉える方もいるかもしれませんが、実際はこのSDGsに向けた取り組みを行うことは、これからの将来、企業が存続してくための非常に重要なポイントとなってきます。
2020年を時代の節目として、日本のそして世界の社会・経済は今までにないスピードで変革していきます。
これまで経済の中心を担ってきた団塊の世代から、次の世代へ、あるいはもっと下の世代がその役割を担うようになるでしょう。また、2020年以降の人口動態を見れば明らかなように、少子高齢化の進む日本において、これから私たちが迎える未来は、これまで以上に厳しいものとなるでしょう。
その時に企業が、現在を基準にして未来の目標を立てていったら、どうなるでしょうか。今までの日本経済の常識では少子高齢化の社会ではできることよりできないことが多いのは当然です。
そうした未来を迎えないためにも、私たちが今必要としているのは、「ムーンショット」なのです。 2030年を目標に、我が社は、自分はどうなっているかを定め、その目標を達成するための方法を模索し続けること、背を伸ばし未来を掴み取るための努力をすることは、SDGsの達成だけでなく、企業が未来に持続し、活躍し続けられる社会そのものを残していくために希求されていることなのです。
地域から世界へ、SDGsの視野を広げよう
企業がSDGsに取り組む際に「なぜ」取り組むべきかという理由、また誰一人取り残さないということがどういうことか、腹落ちしていないと取り組みは成功しづらいでしょう。
それができていない現在、日本国内のSDGsの取り組みは一種ガラパゴス化していると言えるかもしれません。
「なぜ」という意味を考える際、日本ではローカルな社会の繁栄、地域再生・地域創生を意識することが多いようですが、それは十分な理由でないように思われます。
SDGsに謳われる「誰一人取り残さない」ことを意識するのであれば、1つの企業、1つの地域が繁栄するのはゴールではなく、その地域の繁栄が、持続可能な「世界」を作るために、どう繋がり、またどういった役割を果たせるかを考え、理解しなくてはなりません。
自分の身内や地域社会だけでなく、世界に目を向け万人のための繁栄を目指すために、具体的に行動する。これがSDGsを目指す日本にはやや足りていないような気がします。
世界的な企業のCEOが語った明快なSDGs達成の秘訣
2030年はすぐそこまで迫っています。2020年からの10年はSDGsにおける行動の10年と呼ばれています。私たちに必要なのは、情緒を語るのではなく、理想を掲げそこに向かって邁進していく行動なのです。
欧米諸国でSDGsの考えと行動が浸透しているのはなぜか、なぜSDGsの評価において、欧米の企業が高い評価を得ているのか。
私も以前、こうしたことを疑問に思い、SDGsの達成において、高い評価を得ている国際企業のCEOに質問をしたことがあります。
「あなたのサスティナビリティに関する情熱やコミットメントは、なぜ企業の隅々まで行き渡っているのか」
と聞いた時の、CEOのコメントは実に明快なものでした。
「そんなものは簡単だ、repeat・repeat・repeat・repeat・repeat …ただこれだけだ」と言うのです。社員が耳を傾けるまで、何度も何度でも自分の言葉を繰り返す。部下に言って、部下が自分の部下に言ってという情報伝達ではなく、メールやSNSを通じて直接に現場まで伝え続ける。
もっとも初歩的で、無駄のないやり方です。
グローバルな企業には、様々なバックグラウンドを持つ人々が集まりますから、伝えたいことは明確に言語化しなければ伝わりません。
日本においてSDGsに取り組もうとする企業のトップや幹部の方々で、組織の末端まで想いが届かないと悩んでいる方も、このひたすらリピートするという姿勢は大切なのかもしれません。
日本の企業は、阿吽の呼吸や惻隠の情を意識することが多いのですが、期限が定められたSDGsの考えを組織に行き渡らせるためには、紙に書いて張るのでも、一度伝えて報・連・相を待つのでもなく、トップ自らが明確に思いを言語化し、繰り返し伝えることなのです。
SDGsは企業の未来も左右する
SDGsの達成期限である2030年までほとんど時間がありません。
もちろん、2030年の時点でSDGsが終わるわけではなく、持続可能な未来に向けて次の目標が立てられ実行されていくのですが、この2030年までに私たちが何をするかは非常に重要です。
特に中小企業を考えた場合、SDGsへの取り組みは人材の確保にもつながるでしょう。今後、SDGsの取り組みがさらに広がっていった場合、優秀な人材は理想を掲げ持続可能な未来に貢献し続ける企業を就職先として選ぶようになるでしょう。また世間の目も、SDGsに積極的に取り組む企業を率先して支持するようになるはずです。
実は、日本の企業の中には、SDGsが発布されるずっと以前から、SDGs的な活動を主軸として行っている企業もあります。何より日本には創業100年を超える企業が数多くあり、それらの企業が将来にわたって存続してくために、持続可能な目標、つまりSDGsを掲げることはごくごく当たり前のことなのです。
しかし、その多くが自らの企業の意味を深く理解しておらず、また言語化して的確に社会に向けて伝えることができていません。
未来に向けた持続可能な取り組みを広げ、世界に広く認知させていくためには、ただ行うだけではなく、コミュニケーションを通して伝えていくことも重要です。
先ほどもお話ししましたが、2020年を節目に、社会は大きく変動していきます。
これから先100年、200年先にも、皆さんの企業や組織が存続し、またそれによって持続可能で豊かな社会と世界が続いてくために、今、私たちには世界・国・地域・社会・そして個人に至るまで、それぞれが未来のあるべき姿を描き、そこに向けてコミュニケーションをとりながら邁進していく、地道でたゆまぬ考動が必要とされているのです。